潜在意識を支えるもの (自分の中にあるもの14 )
自分に対する不甲斐なさ、自信の無さは、それまでの行動力に比例していたと思う。
そんなことに改めて気づいた。
そして、その時の現実は色々と私に要求していた!
小学生の自分の子供も、まだまだ育てなければならない。
私はそれまでの予言の文言を捨てた。
予言は、絶対にそうなりますよというお告げではない。書いてあることはいくらでも変更されるし、いい意味の書かれていた事が起きないこと、起きてきても進展しないことも様々あった。
では予言の価値や意義とは…。
私にとっては、その時まさに必要な努力に通じているアドバイスだったと言える。
そして、私は今度こそ全面的に、人も運も含めて他に頼ろうとする気持ちを捨てて、その時の自分のできること、できる限りでこの状況をどうにかしようと考えた。
しかし、私はみじめな気持ちでいっぱいだった。しばらく、(たぶんそこから2年くらいは)仕事と必要以外で、他の人と話をすることができなくなった。
そもそも私は若い頃から、忍耐の必要な積み重ねということがほとんど出来ない人だったのだ。
でも感覚的に好きなことには嬉々として取り組んだし、努力も出来た。
だがそれは、「好きなこと」の範ちゅうを決して超えない。
いっとき夢中になることはあっても、心の奥はささやいていた。
「あなたが本当にやらなくちゃならんことは、たぶんそれじゃないよね」
内心のそのささやきを、無視していたが、私には聞こえていた。
だって、「本当に大変そうなことには近寄りたくない」んだもん。
私はアリの生き方だけを善とする目で見た場合の(解釈をしている)『アリとキリギリス』の話は、一面で好きになれない。
キリギリスは本当に、心底自分の生き方を悔いて死んで行った?
きっと、そんなことは無いんじゃないか。
歌っている間は、精一杯に自分の人生を謳歌していただろう。
この物語は教訓の一つではあろうが、アリもキリギリスも自分独自の生き方をしたんだ。そういうことにすぎないし、逆に言えば双方にとって、その生き方が一番その本来の個性に合っていた。それぞれの努力の価値があったからそうなったのだろう。
アリにもキリギリスにも、それぞれ、いずれその生での命を終える日が訪れるのだ。
その時に、歩んできた道は自分にとって幸せだった、あるいは自分を生きて良かったと言えたなら、それはこの上ない人生だったのだと思う。
たましいの歩みはまた、そこからもまた続いて行くのだ。
話が逸れてしまった。
その時しなければならない何かに向き合う。
意志力ではなかなか難しいことだ。ただ、それは私だけかもしれないが。
だから神様は、崖っぷちという最高(👎🏻)のステージを私の人生に設えた。
私には全く足りなかった感覚。
でもそのことで、「しっかりと積んで、育てる基盤」。そういうことの持つ大切さや価値を、私は十二分に認識できた。
本当に、ありがたい。
※私の読んだアリとキリギリスのお話は、物語の最後、寒い季節が訪れた時キリギリスはアリの住居へ食べ物を求めて訪ねるが、アリは「あなたは食べ物が充分にある夏の間は怠けて歌ばかり歌っていました」というような言葉がけと一緒に住居のドアを閉めてしまう、というような展開でした。
他にも違う、終盤のお話の展開があるようです。
🐜♡🦗