自分の中にあるもの(8)
試練の中の心
信仰の途にある人が
自分の苦しみを他人に打ち明けられる機会はごく限られているのかもしれない。
ふだんの私は、聖人の手記などを、ほとんど読もうとは思わない。
読めば苦しくなるから、わざわざ近づきたくない。
しかし、本当に苦しい時には思い出す。そうして自然と手が伸びる。そのような人の人生の、様々な試練の時の心の内側、
能弁な自己探求の言葉、その反芻、そのほとばしりの中に、私に響く言葉がある。それが私の心の拠り所となる。
生きていれば、思いもよらぬ苦しい事にあうことがある。
それはたいてい、予測もつかない。
実はブログを始めた私も、あることで、そういう試練がやって来た。
なぜ、このタイミングなんだろう?
そんなふうになるなんて、考えたことも無かった。あまりにも突然で、動転して、息がうまく吸えなくなった。
あるのが普通だった幸せは、当たり前じゃなかったんだ。変化しないものは無い。自分の精神だって成長し、変化する。
運命は一生のうちに何度か、こういうのを用意してるんだな。
色々分かったつもりでいた私は、今回のことでまた大切なことを思い出した。
また、神様が近くなった。
どうにもならない苦しさは、当たり前の日常に忘れてしまっている、自分への深い自問や、神仏や、見えない存在へ寄りかかりたいと願う心を呼び起こす・・・
・・・・・・。