自分の中にあるもの(10)
自分の道を見つけた時
リジューの聖テレジア(テレーズ)は、自分を「小さき道」に例えた。
(※名前の表記は、本の中と同じにします⛪)
「毎日の生活の中での」小さな努力、忍耐、自分にしか分からない小さな善き行ないを、彼女は繰り返し実践した。
それは今日、多くの人が知るところの偉大な小ささだ。
子供時代のテレーズはある日、姉妹の一人ポーリンから、こんなことを例えで教えられる。
お父さんの大きなコップと、その近くにあったテレーズの小さな指ぬき (指ぬきとは、針仕事の時に指の先端に付けて使う道具) 。
それを逆さにしてコップの横に置き、両方に水を注いだ。そして姉妹はどちらがいっぱいに見えるかと彼女に尋ねた。
どちらにも、もうそれ以上注ぐことができないほど水が入れてあり、
「どちらも、もう一方と同じくらいいっぱいだ」と、テレーズは答えた。
このようにして彼女の姉妹で、母亡き後に母親代わりになってくれていたポーリンは、
”天国では最も小さな祝福された者が、最も偉大な者の幸福をうらやむことはないということを明らかにした”。
(神様の愛は、実はどちらの器にも溢れそうなほどいっぱいに注がれている・・・ことでもあるかな・・・?)
のちにテレジアは他の言葉でも記している。
「・・・・・・ 私が偉大になることは不可能です。私は自分自身と、自分の多くの不完全さに耐えなければなりません。私は小さな道を通って天国に行く方法を探し求めます。 ・・・・・・」
(もちろんそれは、テレーズが求めてやまない愛する主の御前では、自分は取るに足らない小さな者である、という彼女の心からの謙遜である。しかしそれとは別に、この手記は幸せを求めて生きる、生きようとする、後の読者に向けてのメッセージでもあると感じ入る・・・)
(それから何年も経たないうちにポーリンは修道院に入ってしまう・・・。(テレーズが9歳の時。それまでは日々の心の中の全てのことを、この母代わりの姉妹に話していた)。
その精神的打撃は大きく、その後頭痛に見舞われるようになり、体調が悪くなり、
そしてそれが更に悪化する時が来る。(考えたこともなかったことを口にし、自分の意志に反して行動せざるを得ないかのように行動し、ほとんど正気を失ったように見えた)。
しかし、彼女の容態がいよいよ死を覚悟しなければならないほどに悪くなった時、
父がお金を用意し、勝利の聖母マリアの聖堂(そう書かれている)では(9日間のミサ・ノベナ)が捧げられた。
そのノベナの最中、家の者は時にあきらめかけたが・・・
それでもまた、何度も気を取り直して献身的に看病し、姉妹たちは回復を祈り、奇跡を願ってテレーズのベッドの足元でひざまずき、部屋の聖母像に懇願し祈り続けた。
そんな中で突然、テレーズは聖母像が生き返ったように、慈悲深く微笑むのを見る。そしてその直後に痛みが全て消えて、全快してしまう。・・・・・・